はじめまして。

どりーむ訪問看護ステーションの玉城です。
今日は、なぜ 私が訪問看護ステーションで
働きたい!!! と思ったのか、その経緯を
お教えしたいと思います(≧∇≦*) 長いです(笑)
もう6年前の事になりますが、私の母が
「乳がん」を患い、約1年半の闘病生活を経てこの世を去りました。まだ60歳でした。
乳がんが発見された時、すでに骨転移もあり
ステージ4の診断を受け、抗がん剤治療を行っていましたが、その後に肝臓転移が見つかり、病状は悪化。それから、約3週間後に息を引き取りました。
母が乳がんと診断されてからの私の生活は、
仕事と子育て、そして母の看護と めまぐるしい日々を送っていました。
私は病棟勤務の経験が無く「終末期の看護」
については、看護学校で少し勉強した程度の知識しかありませんでした。悩んだ時には、勤め先の先生や先輩ナースに相談し、アドバイスをいただいたりしていました。
私が一番辛かったのは、母のことを全て自分が決めなければならなかったこと。
母の人生の最後を、私が決めて良いのか?本当に悩みました。
本来なら、母が元気なうちに「母の意思を尊重すること」残された大事な時間を、母が母らしく、そして「自分で人生の計画を立てること」それが出来れば良かったのですが、何をどうしたらよいのか?母に話すタイミングや、その方法さえもわからず、自分の不甲斐なさを痛感。
それが今でも、ずっと心に引っかかったまま過ごしていました。あの時、もっと私が「訪問看護」と「終末期の看護」について多くの情報や知識、技術かあれば、母により良い看護の提供と、母が自分の人生に悔いの残らない生き方が出来たのではないか?と考えるようになり、それから訪問看護(看取り看護)に興味を持つ様になりました。
「よし!訪問看護について、一からしっかりと学んで経験を積み、自分に自信をつけよう!」と、思い立ったら即行動の私(笑)
縁あって、どりーむ訪問看護ステーションで働く事となりました。
今後もし、身内や友人、そしてその家族の誰かが同じような状況になった時、自分から情報発信や訪問看護について、いろいろな情報提供が出来るために。そしてあの時、母にしてあげられなかった事を、今日の患者様へ繋げて、恩返しが出来たらいいな…と思う今日このごろ。
8月24日…今日は お母さんの誕生日

お母さん…私、頑張るから見守っていてね

写真は通勤途中にある伊芸ビーチです

凄く綺麗で癒されています

帰り道の夕焼け空も素敵すぎる~

また明日も頑張れます
